道原発連の宣伝で訴える畠山さん(20・12・11)

Q1 東日本大震災、そして福島原発事故から10年が経とうとしています。畠山さんは、宮城県石巻市出身ですし、被災者の元へいち早く駆け付けて支援ボランティアに取り組んでいましたが、10年を振り返っての思いを聞かせてください。

 津波が襲ってくる映像をテレビで見るたび絶望した気持ちになり、もう両親や妹たちとも会えないと覚悟しました。数日後に「無事が確認された」と親戚が涙ながらに電話をくれた時は、安心して全身の力が抜けるようでした。

 実際に足を運んで、復興には何年かかるんだろうと痛感しました。応急仮設住宅は狭く環境も良いとは言えないなか、久しぶりの石巻弁も交えて要望を聞きにまわると、安心するのか少しずつ苦労の様子を話されたことを思い出します。

 議員のときに建設下請け会社の未払い問題で相談が寄せられ、質問をしたのです。昨年末に裁判で勝利したと聞き、嬉しさとともに様々な点で復興は途上なのだと実感しました。

Q2 「復興」を進めていく中で、現在も様々な問題があります。北海道でも3年前に胆振東部地震が起こりましたが、本当の意味で復興を進めるためには、政治の力が求められると思います。

 特に力を入れるべき課題の一つは、住宅再建への支援です。いま被災者生活再建支援法のもとで全壊世帯には300万円の支援がありますが、頭金としてもまったく足りない。東日本大震災では各自治体が上乗せすることで、再建しようとの意欲につながっています。国の責任で増額すべきなのです。

 胆振東部地震では、あわせて半壊世帯や一部損壊世帯への支援をと国や道へも要請してきました。ようやく国が昨年、半壊世帯へも対象を広げることにしたのは、被災者みずからが声を上げ続けてきたからです。

 地震直後に避難所を訪れて小池書記局長らと要望を聞いた後、先ほど話してくれた男性が廊下で泣き崩れていました。ずっとガマンして、弱音を誰にも言えなかったのです。

 自然災害は「みんな大変だから」と、ぐっとこらえてしまいます。だから政治の側が「大丈夫ですよ」と声をかけ、安心の土台をつくることが大切なのだ―と痛感しました。

 「話を聞きに来てくれて嬉しかったよ」と、災害公営住宅に入居した別の方からの言葉も絶対に忘れません。

 支援金を最大500万円まで引き上げる改正案を、野党は共同で国会に提出しています。実現へ道を開きたい。

Q3 世界が再生可能エネルギーへの転換を進める中で、政府は、原発に固執する姿勢を崩していません。「核のゴミ」最終処分場を巡って道民の反対の声が日に日に大きくなっています。原発からの転換が求められていますが。

 今も福島第一原発事故は続いています。「核のゴミ」も最終処分方法が決まらないもと、国は交付金を使って地方自治体へ手を上げさせようとしています。

 町長が文献調査への応募を決めた寿都町では、町民が賛成・反対で分断されました。片岡町長は「どこかで議論すべき問題だ」と言いますが、それなら国へ問題提起すれば済むのではないでしょうか。これでは原発再稼働の後押しにもなります。

 島牧村では「核抜き条例」が採択され、蘭越町では同条例を求める請願署名が住民過半数となりました。寿都町でも日本共産党・幸坂順子町議が、町民と力をあわせています。核燃料サイクル自体が破綻しているもとで、原発に頼らないエネルギー政策と地域づくりを進めようと呼びかけていきたいです。

Q4 「原発ゼロ」へと舵を切る政府の実現を―と運動が広がっています。さいごに、総選挙に向けての決意を聞かせてください。

 野党は共同で原発ゼロ基本法案を国会に提出していますが、自民・公明は議論させしようとしません。野党連合政権をつくり、原発ゼロへと向かう政府にしましょう。

 私が初当選した時に、道庁前で反原発抗議行動に取り組むメンバーから「自分たちの仲間を国会へ送ることができた」と言われたことが忘れられません。いっしょに声を上げ続けてきたことと原発ゼロに突き進む姿勢、そして原発利権にも立ち向かえる――日本共産党の議席は必ず大きな力となれます。だからこそ10年前にも、北電「やらせ」の内部告発が寄せられました。必ず比例議席の奪還をと、あらためて心に誓っています。

――「ほっかい新報」3月7日号より――