頒価 1800円+税。ポプラ書房でも扱っています。

 50年という年月は誰しもがその来し方を振り返る節目かもしれない。ましてや、その50年前が人生の岐路ともいえる出会いや事象に満ちているとすれば、なおさらその思いが強くなるであろう。

 本書は、二十歳前後の学生が1960年代後半に全国で吹き荒れた、いわゆる「大学紛争」に直面した時、何を思い、何を求めて紛争の渦中に身を投じたのか、とりわけ北大紛争のクライマックスともいえる1969年に焦点を当てる形で振り返ってみた記録であり、回想である。

 手島繁一によると、50年前ともなると、その記憶は誤謬を含む極めて選択的なものとなり、総じて曖昧なものになっていることが多く、編集者の間で記憶を突き合わせることによって再確認される事実が多々あったという。既に記録された「大学年史」等に照らし合わせる作業が必要であったし、何よりも当時のビラ、パンフなどの資料と新聞記事などを探し出し、自分たちの記憶を検証しなければならなかった。あたかも、列車時刻表を前に推理小説のなぞ解きをするかのような作業もあった。そして、この作業を最終的に保障したものが、伊佐田・伊藤・岡旧蔵資料と神田健策旧蔵資料であったことになる。本書に収められた北大1969ドキュメントと巻末年表はこれら資料の集約的表現でもある。

 本書は、紛争当時、若い教員であった荒又重雄教授の講演録から始まる。教員の立場で紛争にどうかかわったか、自身の体験を基礎に振り返るとともに、戦後史的な位置づけから将来を見つめる目が示唆に富んでいる。何よりも、学生に対するまなざしがどこまでも温かい。そして、手島による総論的私論とドキュメントへと続く。

39人の回想記

 本書の核心が第2部の回想である。39本の個人回想記を軸に、それぞれの学部やサークル、そして職場等における北大1969紛争論となっている。北大紛争がどれほど深く、そして強く各人の心を揺さぶり、今なお影響を与え続けているのかが鮮やかに読み取れる。その影響は、各人のその後の人生にとって糧となっている場合が多いようであるが、逆に痛みとなって胸に突き刺さり続けている場合もある。どちらにせよ、紛争の中でもがき成長した若者の生きざまが凝縮されているといえる。

 回想記の寄稿に応じてくれたのは基本的には紛争に積極的に参加したメンバーであるが、紛争から距離を置いていたものを含めて紛争当事者であるとすると、北大1969の描き方もまた違ったものになるのかもしれない。本書はそこまでカバーすることはできなかったし、それは別の課題であるようである。可能かどうかは分からないが、小杉亮子のような生活史的手法が必要となるのであろう。

 北大は、学長解任問題など、現在は現在で大きな問題を抱えている。これに心を痛めている卒業生も多いであろう。半世紀前にも全学を挙げて大学改革に取り組んだ歴史があり、その一翼を担った学生の思いが「50年後の卒業文集」の形となったものが本書である。かつて、多くの青年が「わだつみの声」に耳を傾けたように、今の若者がこの思いに気付く機会を与えてくれる書である。(敬称略)

(小坂直人)

――「ほっかい新報」3月7日号より――