日本最北の小児外科、旭川医科大学病院で、30年にわたって4000人を超える子どもたちの手術をしてきた小児外科医の宮本和俊医師が出版した『たたかうきみのうた』。耳をすませば生きる希望に燃える子どもたちの声が聞こえると紹介され、命と日々向き合う小児外科医の診療現場と日常生活に舞い降りたほっこり心温まるエピソードが次々と240ページに詰め込まれています。つい、引き込まれ、夜を徹して読んでしまいました。

 手術することで命を救うだけでなく、日常生活の質を高め、診療や生活の中で日々成長する子どもたちの繊細な表情や反応、想いに気づかされ、喜びや驚き悲しみを分かち合いながら診てきた思いが伝わり、いつの間にか涙がほほを伝っていました。

「手術してよかったね」

 宮本医師が医者になったばかりの今から30年以上前は、小児外科では障害児に対する手術はほとんど行われていなかったと言います。重度の障害児の激しい嘔吐に対して、噴門形成術を開腹で行うようになったのは20年ほど前から。当初は術後の合併症が多く気の重い手術だったと述懐する宮本医師。その数年後、全国に先駆けて腹腔鏡下手術を始めると術後の合併症が少ないことに驚き、重度の障害児に対する気管や噴門等の施術数は着実に増加したというのです。それまで消極的だった教授が、回診で母親に「手術してよかったね」と言うくだりは、もうたまりません。

たい焼き一個を手にして

 19歳になるしゅうと君が、たい焼き1個を手にして外来を訪れます。学生時代はコントロールがついていた排便が、勤めだしてからは下痢となってコントロールがつかなくなったけれど、あら不思議、職を離れると下痢はストップ。パンツを汚すことがなくなるまで7カ月かかったけれど、自動車の免許もとれて別の職場に行くのだと。宮本医師の目にも涙がどうかはわかりませんが、よかったよかったと何度もうなずいている様子が目に浮かびました。

希望を送る守護天使

 出産前から腸閉鎖が疑われ、生まれてすぐ診断を確定。緊急手術の説明を始めた途端、出産を終えたばかりの母親が「先生うちの子の手術みていい?」と。9カ所の腸閉鎖全てを吻合するのに4時間もかかった手術の間、出産直後の母親が休むことなく、息を凝らして宮本医師の背後で見守っていたエピソード。「その当時はなんとなく背後霊みたいなんて感じていたが、とんでもない。後から希望と励ましを送る守護天使だったのだ」と。

 赤ちゃんの時の人工肛門閉鎖後の傷を気にしている子どもの声を聞き、今はへその中に隠れるようにした宮本医師。将来ビキニで歩ける傷までになったというエピソードにほっこり。病気とたたかった子どもたち、道半ばで倒れてしまった子どもたちと親御さん、医師・医療職の仲間たち、そして母とパートナーに捧げられた本。巣ごもりにもぴったりです。

(真下紀子・道議)

ーー「ほっかい新報」12月27日・1月3日合併号――