日本共産党 北海道委員会 ホームページの見方、使い方

 

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浜中町の塩マス/今年も岩手県山田町に/1家族1尾分(2012.7.3)

 

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全仮設住宅86力所訪問 支援物資届ける/党気仙沼市委と北海道ボランティア(2011.12.14)

 

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野菜・果物など買い支援/復興まつり「被災地知って」党道委(2011.9.25)

 

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楽器87台贈る/北海道 夕張から被災地学校に/動いてくれた」ボランティア党市議に謝意(2011.9.24)

 

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仮設被災者の叫び 次つぎ/気仙沼で共産党が聞き取り活動(2011.7.14)

 

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宮城・気仙沼で泥出し奮闘/北海道の党救援隊(2011.7.12)

 

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「息の長い復興支援が必要」/ボランティアが報告/札幌市でつどい(2011.7.3)

 

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"何もかも足りない"ボランティアが報告/党札幌西・手稲地区 復興考える集い(2011.6.8)

 

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人工透析患者・漁師から要望聞く/宮城・気仙沼で真下道議ら(2011.6.3)

 

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気仙沼復興へ党道委〜がれき撤去・泥だし奮闘/三国武治さんの手記(2011.6.2)

 

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気仙沼復興へ党道委〜党北海道委ボランティア始める/宮城・気仙沼に「センター」(2011.6.1)

 

 

浜中町の塩マス/今年も岩手県山田町に/1家族1尾分

 

 

 津波で壊滅的な被害を受けた岩手県山田町にある福祉法人「やまだ共生作業所」(佐藤照彦理事長)の広場で1日、北海道浜中町の山田町支援の会(西村充生会長)が、支援物資の塩マスと棹前(さおまえ)昆布を山田町民500人に届けました。
 佐藤理事長は「浜中町からは昨年、塩マス600尾が届けられ、被災者に大変喜ばれました。今年も塩マスをいただき、感謝しています。1家族1尾の支給です」とあいさつをしました。
 山田町支援の会は塩マスを贈るために、役場や漁協などの各団体に募金袋を回し、協力を求めてきました。
 山田町支援の会の加藤弘二さん(日本共産党浜中町議)は「支援に期待する被災者の長蛇の列に驚いた。被災地は復興するまで、まだ時間がかかると実感した。今後も支援活動を継続していきたい」と語りました。
 山田町支援の会のメンバーは、この活動に協力した岩手県漁民組合の役員とも懇談しました。('12年7月3日付「しんぶん赤旗」掲載記事より)

 

全仮設住宅86力所訪問 支援物資届ける/党気仙沼市委と北海道ボランティア

 

 

野菜手に被災者ら笑顔
 宮城県気仙沼市で6月中旬から行ってきた日本共産党気仙沼市委員会と北海道ボランティアによる支援物資届けは、11日の旧千厩(せんまや)中仮設住宅への届けで、気仙沼市が設置した86カ所(認知症高齢者グループホームにある1カ所を除く)すべての応急仮設住宅を回り切りました。
 最後となった旧千厩中仮設は、気仙沼市に土地がないという理由から岩手県一関市に設置され、入居率はいまだに約50%ほどです。案内ビラをみた多くの被災者が、「青空市」に集まり、斜里町から送られたジャガイモを手に「北海道ものは本当においしいのよ」と笑顔で話し、深川市のタマネギや有機農法の大豆を原料にしたみそなどうれしそうに持ち帰りました。
 全仮設での支援活働は街の話題にもなっています。
 日本共産党の秋山善治郎市議は「市内で150人ほどの集会があった時、参加者から支援物資にお礼をいわれた」といいます。
 しかし、気仙沼市は仮設住宅入居者への要望に対しても、「個別対応」(党要望書への回答)とけっして迅速ではありません。早い時期に建てられた仮設住宅への断熱材設置工事は始まっていますが、このままでは健康を害するお年寄りなども出かねません。
 党気仙沼市委員会では、北海道ボランティアの力も借りて翌日12日に物資の仕分け、反松仮設ヘジャガイモを届けるなど、被災者の立場に立った支援に引き続き全力をあげています。('11年12月14日付「しんぶん赤旗」掲載記事より)

 

野菜・果物など買い支援/復興まつり「被災地知って」党道委

 

 

 日本共産党北海道委員会は23日、札幌市の同委員会事務所前の偕楽園緑地で「東日本大震災・復興ふれあいまつり」を開き、近隣の住民ら約200人が参加しました。「被災者のために少しでも役に立てれば」と救援物資が寄せられるなど、あたたかい連帯の輪が広がりました。
 「まつり」は、宮域県気仙召市の復興支援で道内からのベ800人以上のボランティアを派遣している党道委員会が地域住民に取り組みを知ってもらい、協力を得ながら長期に活動を継続するために開催されたものです。
 会場には、道農民連などから提供された野菜のほか、フリーマーケットや出店が並び、「安いね」と買い求める女性らで盛況。放射能検査済みの福島県産のナシやブドウはすぐに売り切れました。
 気仙紹の現状とボランティア活動の写真展もあり、じっくり見入る姿が目立ちました。
青山慶二書記長が、周辺住民に対し「まつり」の開催協力に謝意を述べた後、6人のボランティア参加者が報告。党南空知地区委員会の上田久司委員長は「津波が来て、握っていた妻の手を離してしまった」と声をつまらせた被災者の男性を紹介しました。
 息子の家に来訪し投函(とうかん)されていた案内チラシを見て参加した女性(84)=東京都江戸川区=は、救援物資としてアイロンを持参しました。広島の工場で勤務中に被爆、崩壊した建物の中から翌日、救出された経験があります。「(福島原発事故で)広島の何倍もの放射能が出たんでしょ。子どもたちがかわいそう…」と胸を痛めていました。
 「非常にいい取り組みですね」と話す北海道大学1年生の男性(19)は友人と参加。自身も気仙召でのボランティア活動に参加したといいます。「テレビで見るのとは違う現実がありました。報道が少なくなり、もう復興したと思っている友達もいるので、現状を知らせ、機会があればまた行ってみたい」と話していました。
 「まつり」の収益は復興支援に使われます。(2011年9月25日付「しんぶん赤旗」掲載記事より)

 

楽器87台贈る/北海道 夕張から被災地学校に/動いてくれた」ボランティア党市議に謝意

 

 "芸術の秋"です。各地の学校では文化祭にむけ子どもたちが練習に励んでいます。これにさきがけ、札幌市のマッサージ師らで構成するボランティアグループ「チーム高木」(高木明美代表)は8月上旬、北海道夕張市から、東日本大震災で被災した東北3県の小・中学校に楽器を届ける活動に取り組みました。支援には日本共産党の熊谷桂子夕張市議らが協力。このほどメンバーから感謝の声が寄せられました。

 

 同グループは、被災地支援を目的に結成され、直後から物資の届けや炊き出し、マッサージなどを行ってきました。その中で「津波で楽器が流され、吹奏楽部が活動できない」との悩みを聞きます。
 「そういえば…」。夕張出身でグループの後方支援担当、佐藤さつきさん(50)=札幌市中央区=は、廃校になった夕張の小学校に楽器があるのではと思いつきました。予想は的中。同市の教育委員会に問い合わせたところ、無償で提供されることになりました。
 ところが、「夕張の学校で使うかも」などの理由で、楽器の提供は先送りが続きます。不安で「毎日眠れなかった」という佐藤さんが頼りにしたは、日本共産党でした。マッサージ店を営む佐藤さん。以前確定申告で困った際、党が親身に相談にのってくれたことを覚えていました。
 6月中旬、佐藤さんからの電話を受けた党道委員会は、熊谷市議に連絡。熊谷氏はすく市教委にかけあい、教職員ともつなぎます。
最終的に、同市の旧若菜中央・夕張の両小学校に保管されていた木琴など87台の楽器すべてが提供されることに。これらを乗せたトラックが8月上旬、岩手、宮城、福島に入り、33の小・中学校に配分されました。
 「共産党なら市民団体のために動いてくれると思った」と振り返る佐藤さん。「熊谷議員がいなければ、まだ楽器は届いていないかもしれません。本当に感謝しています」
支援が実を結んだことを喜ぶ熊谷議員は、「財政破綻で全国から支援を受けた夕張が、今度は被災地のお役に立ててうれしい」と話しています。(2011年9月24日付「しんぶん赤旗」掲載記事より)

 

仮設被災者の叫び 次つぎ/気仙沼で共産党が聞き取り活動

 

 

 宮城県気仙沼市で、震災・津波で住居を失い、仮設住宅で暮らす市民に、日本共産党市委員会が物資を届けると同時に、要望などを聞く「聞き取り活動」を行っています。聞き取りは、市議などを通じて直接集められるものと、アンケートで進められているものがあります。アンケートは6月半ばから始まり、現在、600通近く寄せられています。
 ある仮設住宅では、事前にアンケート用紙を配り回収したところ、全96戸のうち、82戸から返答がありました。

 

仮設に入れたけど
 「私は高齢者で1人暮らしの者です。仮設を出たあとの生活が全く思い浮かばず途方にくれています」「避難所から仮設住宅に入れた時はホッとしたが、今は先の事を考えると不安でたまらない。今まで住んでいた家は津波で全壊。住むところがなく、2年後に仮設を出ても家の購入も経済的に無理だし、どうしたらいいのか不安です」と、苦悩する声が共通して出されています。
 「家のローンが残り20年。仮設住宅にいる今は何とか払えたとしても、出た後はローンを払いながらアパート代を払う事なんて無理だし、どうやって生活していくか、そればかり考えています」(40歳代の男性)と二重ローン問題の解消を訴える声が多く出されているのも特徴です。

 

子が情緒不安定に
 また、仮設住宅での生活に対する不満や苦労も寄せられています。30歳代の女性は「子供が震災後から情緒不安定。そのような状況で子供をおいて仕事に行けない。でも仕事をしないと、生活もできない。子供の学校に行っている時間帯の仕事がない。貯金も底をつきそうで不安だらけです」と切々と訴えています。
 「日常生活に必要な洗剤、ペーパー、米、食料の物資をお願いしたい。仮設に入ると物資がほとんど届きません」と引き続き生活物資の支援を求めているのも特徴的です。30歳代の女性は「仮設住宅に入り、想像以上の金額がかかりました。実際何の支援もないままです。失業し、自宅を無くし、仮設に入居できても日々の生活があります。私には3人の子どもがいて、母子家庭です。食料を買わなければならない。光熱費を支払わなければならない。これから先を考えると真っ暗です」と書きつづっています。

 

共産党に助けられ
 共産党に対する期待・信頼の声も寄せられています。「被災者を直接助けてくれたのは共産党が初めてです。自、公、民、社、その他は顔もみせてくれません。この様な時ほど、口で言うことと行動のひらきが、はっきり分かりました」と思いを寄せています。
 気仙沼市復興に向けて市は9月末を目標に復興計画を策定するとしています。党市委では、アンケートに寄せられた声をこの計画に反映させようと、さらに活動を強めていくとしています。('11年7月14日付「しんぶん赤旗」掲載記事より)

 

宮城・気仙沼で泥出し奮闘/北海道の党救援隊

 

 日本共産党の救援ボランティアが猛暑の中、被災地で泥出しの奮闘を続けています。
 10日、宮城県気仙沼市では、北海道からのボランティア隊(室蘭地区と日高地区などで構成)の5人が、住宅街に悪臭が漂い、ハエが飛び交う側溝からヘドロをくみ出して清掃、消石灰を散布し消毒しました。
 この日の気温は35度前後。津波注意報や高台への避難勧告が出される中での作業となりましたが、無事終了し、悪臭は消え、ハエの姿もなくなりました。
 気仙沼市では、ペットボトルのふた大のハエが大量発生し、衛生面や伝染病の問題が懸念されています。市街地や住宅地では、側溝にどこからともなくヘドロがたまり、ハエも急増。住民から心配する声が出ていました。
 そば店の店主、小野寺奏さん(48)は「震災後初めて手をつけていただき、大変感謝しています。暑くなって急に臭いが出てきましたね。開店前に空気を入れ替えるとき、ハエが入ってきて困っていました」と話します。
 ボランティアに民青同盟から参加した古川吉春さん(30)は「こんなに大変になっていたとは驚きました」と語り、現地では、まだまだ泥出し作業が必要で、むしろ暑くなるこれからがますます支援が求められると話していました。('11年7月12日付「しんぶん赤旗」掲載記事より)

 

「息の長い復興支援が必要」/ボランティアが報告/札幌市でつどい

 

 日本共産党札幌西・手稲地区委員会は6月27日夜、同市西区で「被災地が抱える課題と泊原発を考えるつどい」を開き、60人が参加しました。被災地でのボランティア活動の報告と講演が行われ、参加者は「息の長い救援・復興活動が必要」との思いを強めました。
 集会では、宮城県気仙沼市の党ボランティアセンターで活動してきた党員4人が報告しました。責任者の片山則之常任委員は、布団や紙おむつ、50`の米などを届けてきたことを紹介し、スクリーンで被災状況を説明。参加者から「3カ月以上たっているのに手つかずだね。ひどい」とため息が漏れました。片山さんは「活動は重労働だけでなく、話し相手になることなどいろいろあります。ひとりでも多くの参加を」と呼びかけました。
 発寒中央南支部の党員は「床掃除をしてきました。少しは役に立ち、励ましになったと思う」と振り返りました。
 また、原発問題全道連絡会の米谷道保事務局長が「福島原発事故から泊原発を考える」と題して講演。泊原発の地震・津波対策や防災計画の資料を示した上で、「北電の緊急安全対策は、安全性の対象にならない」「福島原発事故が明らかにしたことは、泊原発にも該当する」と指摘し、プルサーマル計画の中止と原発からの撤退、自然エネルギーヘの転換を訴えました。('11年7月3日付「しんぶん赤旗」掲載記事より)

 

"何もかも足りない"ボランティアが報告/党札幌西・手稲地区 復興考える集い

 

 日本共産党札幌西・手稲地区委員会は4日、札幌市西区で「東日本大震災復興と原発事故を考えるつどい」を開き、62人が参加しました。
 宮城県石巻市で5月10日から1週間にわたり、日本共産党の震災救援・復興ボランティアとして活動した田中啓介さん(党西区くらし福祉対策委員長)が報告しました。
 田中さんは写真を使いながら、「死亡者3040人、行方不明者2770人(5月28日現在)」の石巻市の壊滅的な被害状況や、泥出し、物資お届け隊、炊き出しなどの支援活動を紹介。「ドブ川のにおい、ヘドロのにおいがすごい。テレビや新聞では伝わらない」「ごみの量は500万`で、石巻市の100年分」と話すと、会場から「うわっ」と驚きの声が漏れました。
 「炊き出しに1000人が集まり、30分ほどでなくなった。『おかわりしたかった。夕食もやってほしい』の声があった」と食事もままならない様子を語った田中さん。「障害者の死亡・行方不明者は健常者の倍です。自治体の職員は不眠不休で仕事をしているが、自治体の統廃合で人が足りない」と指摘し、「食事など、避難所によって違いがあり、要望の声をあげていくことが大事です」「何度も足を運び、見届けたい」と話しました。(2011年6月8日付「しんぶん赤旗」掲載記事より)

 

人工透析患者・漁師から要望聞く/宮城・気仙沼で真下道議ら

 

 

 日本共産党の真下紀子道議、能澄谷繁旭川市議らは1日、東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市を調査に訪れ、被災者を激励しました。秋山善治郎気仙沼市議が案内しまた。
 看護師でもある真下道議は、札幌市内に5月下旬まで入院し人工透析を受けていた三浦日出雄さん(78)=気仙沼市立病院腎友会会長=と懇談しました。三浦さんは震災の影響により、地元の病院で人工透析を受けられませんでした。北海道透析医会、道腎協などの支援によって、道内20カ所以上の医療機関が受け入れた人工透析患者80人のうちの1人です。医療体制が回復したため、5月26日に気仙沼市へ帰りました。
 三浦さんは「仙台の病院に2、3週間行くかと思っていたが、まさか北海道に2カ月も入院するとは思わなかった」と振り返りました。同腎友会の患者の入院先に連絡し、生活相談に応じた様子について語り、「商売をしている患者は、納品や会計のため早く帰りたいという人もいた」と述べました。
 真下道議は「人工透析患者は全国各地におり、その時の経験を生かさなければならない」と話しました。
 真下道議らは、約10人が生活する避難所・鶴ケ浦生活文化センターで、漁業再廷に向け新たに漁船を購入する際の国・県からの支援制度に関し、漁業者から要望を聞き、道の取り組みを紹介しました。
 共産党気仙沼市災害対策本部を訪れ、党旭川地区委員会が集めた義援金を渡しました。
  3日まで滞在し、地場産木材を使った仮設住宅の調査や、被災者から要望を聞く「御用聞き隊」などに加わる予定です。(2011年6月3日付「しんぶん赤旗」掲載記事より)

 

気仙沼復興へ党道委〜がれき撤去・泥だし奮闘/三国武治さんの手記

 

 

 日本共産党北海道委員会は、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市の復興・支援に全力をあげています。5月25日から第1陣として、がれき撤去・泥だしなどで奮闘した函館地区委員会の三国武治副委員長から手記が寄せられました。紹介します。

 

 ○…5月25日(水) 函館正午発のフェリーに、私と東山支部の横山大祐さん、渡島・桧山地区委員会の山崎哲行副委員長が乗り、一路、気仙沼市に。午後9時に到着し、プレハプの北海道ボランティアセンターで明日の準備をして就寝。
○…26日(木) 今日の行動は、党市委員会の建物の泥だしと璧こわし。平屋の事務所は屋根裏まで津波が来ていたが、みんなでお金を出し合って建てた事務所は頑丈で流されなかった。異臭漂う中、一日かかってやりきった。近所では業者の方や住民がもくもくと後片付けをしていた。現地の方と話す機会があり、函館からボランティアで来たというと大変喜ばれた。「被災者に一刻も早く義援金を渡すべきだ」と話してくれた。
〇…27日(金) フェリーに乗り対岸の大島にある漁師さんの家のがれき撤去と後片付けを行う。仕事の打ち合わせをしていると、震災以来初めて訪ねてきたという仙台の妹さんがお礼しながら「家の前のホテルが津波で、めちゃめちゃになってますが、昔ここは田んぼだったんです。52年前のチリ地震の時、津波が来たけれど、今回も同じ。今回はここで亡くなった人も出たんです」と話してくれました。大島は2カ所で島を津波が乗り越えた。小高い峠の家も被災し、フェリーが2隻、桟橋のコンクリートごと打ち上げられていた。('11年6月2日付「しんぶん赤旗」掲載記事より)

 

気仙沼復興へ党道委〜党北海道委ボランティア始める/宮城・気仙沼に「センター」

 

 日本共産党北海道委員会は東日本大震災の復興支援で、宮城県気仙沼市に拠点を置き、地域の復興支援活動を開始しました。
5月25日には苫小牧、函館、渡鳥檜山(おしまひやま)の各地区から派遣された6人のボランティアが気仙沼入りしました。
26日から作業開始。汚泥と魚介類の腐臭が街全体を覆う気仙沼港で、がれきだらけの廃虚に息をのみました。津波被害に遭った気仙沼市委員会の泥上げ作業を、汚泥の臭気の中で行いました。27日は、対岸の大島にある漁師の家のがれき撤去作業を行いました。
28日は全国のボランティアとともに、瀬戸物店の片付け作業をしました。
ボランティアに参加した函館地区委員会の三国武治副委員長は「札幌や江別の学生と作業をしました。若い人たちが身銭を切って参加していることに、明るい未来を感じました」と話しました。仮設宿泊所となる、広さ15畳のプレハプ施設「日本共産党気仙沼ボランティアセンター」も完成しました。
現地で受け入れ準備をしている道委員会の馬場龍次常任委員は「状況の異なる被災者が、それぞれ何を求めているかをよくつかむ必要があります」と指摘します。
馬場さんによると、仮設住宅に入居した人には支援物資の支給が止まるため、再び避難所に戻ったものの居場所がなくなり行方が分からなくなった人や、仕事がないために1日をパチンコ店で過ごす被災者も。「支援金の支給が急がれる」と指摘します。
「復興の主体はあくまでも地元の人たちであり、私たちボランティアは『御用聞き』をして仕事を見つける必要があります」という馬場さん。「移動するための車も必要。復興は息の長い活動になります」と話していました。道委員会では、さらに「気仙沼市でのボランティア」の登録を呼びかけています。('11年6月1日付「しんぶん赤旗」掲載記事より)

 

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●2012年06月01日 第30号


●2011年12月19日 第29号


●2011年11月28日 第28号


●2011年10月22日 第27号


●2011年10月01日 第26号


●2011年09月24日 第25号


●2011年09月08日 第24号


●2011年09月06日 第23号


●2011年08月19日 第22号


●2011年08月06日 第21号


●2011年08月04日 第20号


●2011年07月22日 第19号


●2011年07月18日 第18号


●2011年07月11日 第17号


●2011年07月09日 第16号


●2011年07月06日 第15号


●2011年07月03日 第14号


●2011年07月02日 第13号


●2011年06月30日 第12号


●2011年06月26日 第11号


●2011年06月23日 第10号


●2011年06月20日 第9号


●2011年06月16日 第8号


●2011年06月11日 第7号


●2011年06月09日 第6号


●2011年06月07日 第5号


●2011年06月06日 第4号


●2011年06月03日 第3号


●2011年06月02日 第2号


●2011年05月28日 第1号

 

 
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