たった127ページの薄さとは裏腹に、百年を生き抜いた菱谷氏のあまりに重厚な人生がぎっしりと詰め込まれている。あっという間に読み切った。

 旭川の小説家・三浦綾子の『銃口』は、「綴方教育連盟事件」を題材に被害者の慟哭を克明に表現した。1941年に起こった菱谷氏の「生活図画事件」は、まさに「もう一つの物語」。貧しい子ども時代の憧れや葛藤、師範学校での師匠と友との宝石のような交わり、そして希望ある卒業の直前に突然起こった不当な検挙。

 「部屋に特高の刑事が二、三人ドカドカと踏み込んできた。『菱谷はいるか』と言われたので寝ぼけまなこで『私ですが』と答えた」。そこから始まる、特高の恫喝と暴力、調書のでっち上げ、氷点下30度での拘留──。心身ともに極限まで痛めつけられた過酷な体験が、被害当事者の言葉で切々とつづられる。

 出獄後の最初の紀元節。「お前はアカだ」と痛めつけられた記憶がよみがえり、湧き起こる怒りのままに一日で描き上げられたという、赤い帽子の自画像。その菱谷氏の眼差しに射抜かれる思いだ。行間からは母や父、弟妹の思い出、とりわけ塗炭の苦しみのなかで子どもたちを支えた母への思いが溢れる。物語は終わらない。熊田満佐吾先生との別れ、そして何より、同じ苦渋を分かち合った無二の親友である松本五郎氏との邂逅が、心にしみる。老年になってからも、「共謀罪法は姿を変えた治安維持法だ」として証言活動や国会要請、著述で、言葉を紡ぎ続けてきた。

 今まさに秘密保護法を大幅に拡大する経済秘密保護法案=経済安保法案の強行が狙われている。共謀罪と同様に重大な人権侵害、弾圧につながり得る。「何も知らない少年が突然、犯罪者にされるような時代にしてはならない」という菱谷氏の言葉を今こそ受け継ぐとき。本書を手に改めて決意する。

 菱谷良一 著 菱谷良一自伝刊行委員会 1500円+税

(「ほっかい新報」5月5日付より)