今回の余市町議選は、定数が18から16議席に減る中、8月1日に告示、6日投開票で行われます。

 6年前に中学校卒業までの医療費独自助成の大幅拡大を実現し、今年から、高校卒業まで子どもの医療費を無償化することができました。次は加齢により耳の聞こえに悩みを持つ人々への「補聴器購入の独自助成」、町立保育所を含めた「給食費の無償化」を特に大きな目標として町議選に臨みたいと考えています。

大変な困難に直面

 いろいろあった末、候補者は私1人(現有3議席)となりました。余市町で党所属の候補者が初当選して60年。単独候補でたたかうのは52年ぶりです。会派制(2人以上)、委員会中心主義をとる町議会において、会派を持たない議員は、議会活動の場面で大きな制約を受けます。

「たった1人」でも「大きな議席」を目指したい

 それでも、ここで膝を折るわけにはいきません。この60年間、「住民が主人公のまちづくり」の具体化に向け、地域の方々と共に奮闘し続けた、内田明良さん、渡辺正治さん、安達尚男さん、熊倉義城さん、佐々木正江さん、中谷栄利さん、安久荘一郎さん。これらすべての方々の系譜を、私は受け継がなくてはなりませんし、自らが「余市最後の共産党議員候補者」になるわけにはまいりません。

 5年前の町長選。地元選出の与党国会議員の斡旋で、役場出身の町長から、霞ヶ関出身者に首がすげ替えられました。その結果、「住民がおいてけぼり」、「若者重視、高齢者切り捨て」、「住民の意志より役場の都合」、「自治体の矜持より国の言いなり」と非難の声が口々に上がるほどの「国政直結型町政」の弊害が目立ち、様々な階層の方々が見えない壁で分断された町となってしまっています。

いま目の前で困難を抱えている人は「未来の自分かもしれない」

 「あなたは31歳(当時)。若い力にとても期待している。けれど、私たち年寄りのことも忘れないでね」。8年前、初めて町議に立候補した時に支持者の方から実際に言われた言葉です。

 「いま、目の前で困難を抱えている人は、未来の自分かもしれない。大切なのは、ほんの少しの想像力。自分が当事者だったら何を求めるだろう。その見地で物事と向き合うことが大切」。私は今年で39歳。街頭でも、議会の壇上でもこの話をよく口にします。特に、高齢者軽視と取られかねない冷たい姿勢を取る余市町長には、常にこの視点を基盤にたたかっています。

 町の人にとって、「いつも身近な相談相手」でありたい。引き続き奮闘しますので、みなさんのお力添えをいただきたく思います。

(「ほっかい新報」7月16日付より)